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11代奥野 小四郎(おくの こしろう、1880年(明治13年)4月14日〔『日本の歴代市長』第1巻、90頁。〕 - 1958年(昭和33年)7月23日〔『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』154頁。〕)は、日本の篤農家、実業家、政治家。衆議院議員、官選帯広市長。旧姓・武田、初名・雄次〔。 ==経歴== 兵庫県三原郡広田村で武田泰三の三男として生まれる〔『北海道人名辞書』第二版、572頁。〕〔。1898年、郁文館中学校を卒業し、同年、第三高等学校第一部に入学したが、家事の都合により一年で退学した〔〔。その後、洲本町の先代奥野小四郎の婿養子となり家業に従事〔〔。 1904年5月に来道して先代が拓いた上川郡士別村の農場の経営を担当〔〔。1906年から2年間、北海道庁真駒内種畜場で畜産獣医の講習を受け、1908年、十勝国中川郡居辺原野で先代と共に牧場を経営し、産馬の改良繁殖に尽力した〔。 1915年12月、先代が死去し、1916年1月、11代小四郎を襲名〔。帯広町会議員、北海道会議員、十勝郡農会長、北海道農会副会長、十勝畜産組合長、北海道畜産組合連合会副会長、中央畜産会理事、北日本無尽 (株) 社長などを務めた〔。 1924年5月、第15回衆議院議員総選挙に北海道第九区から出馬し当選。1942年4月の第21回総選挙で北海道第五区から翼賛政治体制協議会推薦で出馬し当選し、衆議院議員を通算二期務めた〔。 1946年1月、帯広市長に就任するも、第21回総選挙で翼賛政治体制協議会の推薦を受けていたことから公職追放となり、1947年1月に市長を退任した〔。その後は政界を引退し、晩年は故郷の洲本町に帰郷し、同地で没した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奥野小四郎 (11代)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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